2009-04-11

ルールに振り回される日本人


日本人が本質的な目的を忘れルールに振り回された典型的な例がニュースで流れた。

制服ワッペン2万枚作り直し、3400万どぶ…都下水道局

4月10日3時6分配信 読売新聞

東京都下水道局が昨年、制服に付ける都のシンボルマークを添えたワッペンを2万枚作製したところ、シンボルマーク使用に関する内規に反したとしてこれを使わず、新たに約3400万円をかけて、ワッペンを作り直していたことがわかった。

 デザインは組織名の下に5センチ余の波線を付けたシンプルなものだったが、この責任を問い、都は担当幹部2人を訓告処分にしていた。内規を杓子(しゃくし)定規に解釈した「お役所仕事」の典型とみられ、公費の支出の在り方に批判が集まりそうだ。

 都下水道局では、所属する計約3000人の職員用に、予備を含めて計約2万着の制服を作っているが、1978年から同じデザインだったため一新することにし、右胸に付けるワッペンも新たに作ることにした。

 ワッペン(縦2・5センチ、横8・5センチ)はシリコン製で、イチョウ形をした都シンボルマークの横に局名を記し、「水をきれいにするイメージを出したい」との願いを込め、その下に水色の波線(約5センチ)を添えることにした。職員が考案したものだった。

 ところが、約2万枚のワッペンが完成し、一部は制服への縫い付け作業が始まった昨年11月に開いた局内の会議で、ワッペンのデザインが、シンボルマークの取り扱いについて定めた都の内規「基本デザインマニュアル」に抵触する疑いが浮上。内規には、マークの位置や文字との比率などが細かく記載されており、誤った使用例として「他の要素を加えない」と規定。同局では今回、この規定を厳格に解釈したという。

 ただ、この規定は例外も認めているが、同局では、波線部分を取り除いて作り直すことを決定。制服を含めた費用は当初、約2億1300万円だったが、新しいワッペンの作製費と縫い替えの費用として、約3400万円を追加支出した。

 都は今年3月、最初のワッペンのデザインを決めた担当の部長と課長(いずれも当時)を訓告処分とした。今月から制服を一新したことは発表したが、ワッペン作り直しに関する一連の事実は公表していない。

 下水道局は「事前に規定を見ていれば防げたもので、担当者のミス。多額の費用負担を生じさせて申し訳ない。次のデザイン更新は何年先になるかわからず、それまで誤ったワッペンを続けることはできなかった」と説明している。

 下水道局を巡っては、JR王子駅(北区)のトイレの汚水が、約40年にわたって近くの川に流れ込んでいた問題で、2007年6月にこの事実を把握しながら、対策を取らずに放置していたことが判明している。

冒頭の図の上が東京都下水道局が当初、採用する予定だったワッペンのデザインだそうだ。波線が入っていることがルールに違反している=あってはならないという考えにとらわれてしまったわけだ。

この東京都下水道局幹部の判断について石原慎太郎知事は10日、定例記者会見で「本当にたまげた。骨身に染みて反省するよすがにさせる」と述べ、作り直しを決めた同局の幹部らを処分する方針を明らかにした。石原知事は、この問題を報じた読売新聞を掲げながら、作り直す前のデザインについて「東京の下水はきれいだなって感じがするし、いいじゃない」とし、「規格に合わないからと作り直して、バカじゃねえかほんとに」と怒りをあらわにしたそうだ。

このニュースを聞いてたしかに「バカじゃねえか」と感じたが、実はこのような「バカじゃねえか」という話しは身近でよく見かけると思った。

この話しには日本人特有の2つの問題があると思う。ひとつは「組織やプロジェクトを構成するメンバーが組織やプロジェクトの目指す目的について十分に意識していない」ことと、もう一つは「組織やプロジェクトを構成するメンバーがルール作りに参加しておらず、ルールを改善することができると考えていない」ということだ。

【組織やプロジェクトの目指す目的について十分に意識していない】

ようするに組織目標という遠くにあるゴールを見ずに、自分の直近にあるものしか見ないため近視眼的な思考となり結果的に、遠くにある組織目標に背反するような判断や行動を取ってしまうケースだ。

東京都下水道局のホームページを見ると経営計画2007というページに以下のような3つのスローガンが掲げてある。

○安全で快適な都市生活をめざして 
○お客さまサービスの向上・経営効率化の取組
○危機管理対応の強化・地球環境保全への貢献

職員が組織内で一つ一つの判断をする際に、この3つの目標を常に頭に入れておいて、これらの目標に向かった行動になっているかどうか考える癖をつけていると今回のような問題は起こらなかったと思う。

都の内規「基本デザインマニュアル」でマークの位置や文字との比率などが細かく決め、使用例として「他の要素を加えない」と規定したのは、シンボルマークの基準を定めることによって、一般市民がシンボルマークによって都の各部門とその責務を一目で判断でき、分かりにくかったり、勘違いすることを防ぐことが目的だったと推察される。

一方で東京都下水道局の文字の下に水色の波線(約5センチ)を添えることにしたのも「水をきれいにするイメージを出したい」との職員のアイディアであった。どちらも、東京都民へのサービス向上が目的だった。

それに比べて、約3400万円を追加支出してワッペンを作り直すという判断は、結果的にユーザーである都民の税金を無駄にすることになるから、組織目標であるサービス向上の目的にそぐわない。

こういう一見どっちを取るべきか判断が難しい事例は日々組織の中で発生している。本末転倒と思われる顧客の利益にならない小さな誤った判断、行動は組織の中で意外にも頻繁に発生している。「これはセクショナリズムだ」と思ったときは、組織目標に照らし合わせると顧客満足の向上を疎外するような判断や行動がなされていることが多い。

この違和感をすばやく察知できるようになると組織の中のどこを改善すると流れがよくなるのか、組織目標の達成率が高くなるのかが見えてくる。(組織目標というのは目標売り上げ達成というような低レベルの目標ではなく、顧客満足の向上や社会貢献といった本質的な目標のことなのでお間違えなく)

組織目標や組織のポリシーと自分の中にある価値観がオーバーラップしていて、組織の価値と個人の価値を一部でも共有できていれば、いつも正しい判断ができる確率が高くなる。ただし、組織の目的が金儲けで、個人の目的も金儲けというようなケースではいくら価値観が共有できていてもいい方向にはいかない。

上司から命令されたからとか、クライアントからの要求だからといった近い視点ではなく、その判断や行動はエンドユーザーの利益になるのかどうかという視点を常日頃持っていると、確実にプラスの実績が積み重なっていく。そうでないと、やったけど役に立たなかったとか無駄だったというマイナスの実績ができてしまう。ソフトウェアエンジニアとしての活躍できる時間は限られているため、日々の活動はプラスの実績につながるようにしていかないといけない。

【ルール作りに参加しておらず、ルールを改善することができると考えていない】

ルールは天から振ってくるものであり、絶対に守らなければいけないと信じ切っている人をよく見かける。外部のセミナーに行ってきてセミナーの講師から「これこれを守らないと大変なことになりますよ」と恐怖心を植え付けられてきた担当者は、ルールの本質を外れて枝葉末節にこだわり始める。組織内で改善活動を行っている者にとっては、この手の話しは自分達の活動に水を差されることがよくある。

セミナーの講師やツールベンダーの営業の一部の人は、自分達の売り上げを確保したいために、必要以上に法律や国際基準、業界ルールを強調して、それを守らないと大変ですよと吹聴する。それを真に受けた担当者が過剰反応すると開発の現場にそのしわ寄せがくる。

そもそもの法律や国際基準や業界ルールが作成された背景はすっとばされて、○○した方がよいという文言は、末端にいくにつれいつのまにか○○せねばならないという強制の言葉に置き換わってしまったりする。

法律だって時間がたてば、時代にそぐわなくなって修正しなければいけないときがくる。国際基準や業界ルール、組織ルール、プロジェクトルールだって同じだ。組織の目標を達成するためにルールは常に改善する必要がないかどうかを考えている必要がある。

日本人は自分達で自分達が守るべきルールを作るということがどうも苦手なようだ。自分にはルールを作る権利があるという意識も低いし、その権利を行使しなければ自分が損をするという意識も薄い。たぶんデモクラシーの教育や文化が弱いのだろう。(誰かが決めたルールに従うのが普通と考える日本人としての国民性もある)

そういう環境に慣れてしまうと「ルールは変えられるもの」という感覚がほとんどなくなり、まじめであればあるほどルールには絶対に従わなければいけないと思い込んでしまう人がたくさんでてくる。

実は自分はこの日本人の特性を理解した上で、その特性を利用している。組織内で支援活動をするときに相手のルールに対する考え方見定めてこちらの攻め方を変えているのだ。

例えば、「ルールは絶対」と考えている技術者に対しては、必要な活動の目的よりもルールの方に重きを置いて指導、支援し、やることが決まっている以上やらなければいけないよという持って行き方をする。そして、その活動がプロジェクトに浸透したところで、ルールの向こう側にある本質的な目的を伝えて、何をどう判断するのか、どういうときにルールを逸脱していいのかを説明する。

一方で「ルールなんかくそ食らえ」と考えるチームには、逆にルールの向こう側にある本質について説明し、その本質が目指している価値とチームの目指す価値は一致している筈であり、そのために必要な活動であると諭す。そしてその結果ルールに沿った取り組みとなると説明する。

どっちにしても、必要な活動をして、最終的な目標(顧客満足の向上や社会貢献)につながればいい、そう考えれば、最善の判断、最善の行動は何か自ずと見えてくるはずなのだ。
 

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