2007-10-08

エンジニアの品格

今回は時事ネタを2つ。

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【エンジニアの品格】

さて、一つめの話題。先週、時津風部屋の序ノ口力士、時太山=当時(17)、本名斉藤俊さん=がけいこ後に死亡した問題で日本相撲協会が時津風親方を解雇した。

この事件でTVやラジオやインターネットでいろいろな方がコメントを寄せているが、どれにも「品格のある行動だったかどうか」という視点がないのが不思議だった。

朝青龍が出場停止になったとき、世間はあれだけ「横綱の品格」のことを話題にしておきながら、相撲部屋での親方や兄弟子達の振る舞いには品格を問わないのか? 親方や相撲部屋での力士達の行動に品格があれば、今回のような制裁と思われる行動は起こらなかったのではないだろうか。

厳しい稽古、時には竹刀で叩くような行為は力士を鍛えるための叱咤激励か、制裁行為かどっちにも取れるように思うが、叩いている方に品格があるかどうかで、強くなるための試練か、制裁行為かある程度判断できると思う。開かれた相撲部屋では近所の人たちが稽古をのぞきに来ることがしょっちゅうあるそうだ。このような相撲部屋では、近所の人たちの目が暗黙に親方や力士達の行為に品格があるかないかをチェックしていたのではないだろうか。いじめや制裁は閉鎖された空間で起こりやすい。でも、品格のある人たちであればいじめは抑えられる。

品格のない相撲部屋から品格のある横綱が誕生するとは考えにくい。もしも、それが実現したのならその横綱の品格は表面的に繕っているもののように見える。日本相撲協会は今後相撲部屋にも品格を求め、品格のない部屋は相撲の世界から去ってもらうと宣言して欲しい。そこまで言って品格を持った行動が大事だというのなら、横綱に品格を求めるという話にも自然に同意できる。強くなるまではどんな行動をしてもよく、横綱になるときだけ品格を求めるというのでは説得力がない。

似たようなシチュエーションが組込みソフトの世界にもあるように思う。組込みソフトの世界もプロジェクトリーダーの進め方によっては閉鎖された環境になりがちだ。ハードウェア出身のプロダクトマネージャからはソフトウェアの開発はブラックボックスに見えるので、ソフト屋さん達が何をやっているのかよく見えない。成果物もソースコードだけだといいのか悪いのか分からないから見る気にもならない。

かくして、ソフトウェアプロジェクトは閉鎖された空間となり、品格のないエンジニアがいじめを始めたりする。ターゲットになりやすいのは、立場上反論しにくい協力会社だ。メーカーやクライアントサイドの仕様が曖昧であることが原因で詳細仕様の勘違いやバグが発生しても悪者はソースコードを納品した協力会社の人間にされたりする。

メーカーサイドの能力のない発注者が自分自身の問題点を棚に上げて開発の遅れや品質の低下を協力会社のせいにするのを見ると、無性に腹が立つ。こういうときに「こいつはエンジニアとしての品格がない」と思う。相撲における品格と同じで、品格のあるエンジニアが他人を責めるときには、厳しい言葉であっても責められた方も周りも納得がいく。しかし、品格のないエンジニアが他人を責めるときの言葉は、誰が見てもいいわけがましく、自分の失敗を他人に押しつけているように見える。

エンジニアの品格とは、技術的な裏付けに基づいた言動・行動、長期的展望、リーダーシップ、揺るがない信念のようなものから生まれるのだと思う。自分の成果が外に見えにくいだけに、エンジニアとしての品格のある言動・行動がソフトウェアエンジニアにも求められるのだと感じる。

日本人が『あたたかい人間関係の中のやさしい一員』という特徴を持っている中で、組込みソフトエンジニアやソフトウェアプロジェクトはエンジニアとしての品格を堅持しておないと、目的を失い、ともすれば弱い者いじめをする集団と化してしまう危険性があるように思う。

日本人が欧米人のように、明確な責任と権限を持たず、曖昧な上下関係の中で、品質の高いものづくりができるのは、「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という気質にエンジニアとしての品格がプラスされているからではないかと感じる。

【携帯電話のソフトウェアの規模が拡大したカラクリ】

2つめの話題。auブランドの携帯電話を展開するKDDIが、携帯電話機の大幅な値下げ原資となっている「販売奨励金」制度を適用しない新料金プランを導入するとのこと。

KDDIが新プランを導入するのは、総務省が携帯各社に対し、2008年度をめどに、販売奨励金と通話料を分離し、利用者が、コスト負担を判断できる料金体系を設けることを要請したためだ。

販売奨励金の存在は前々から知っていたが、このところの各方面からの報道でその金額が4万円にもなるという話を聞いた。ようするに、2万円で売っている携帯電話の本体価格は本当は6万円、3万円の携帯電話の価格は7万円だったということだ。

この話、携帯電話を製造するメーカーから見ると自分たちは希望小売価格6万円、7万円で売って欲しいと思っている商品を、すべての消費者が、頭金2万円、3万円で残りの4万円をローン契約で買ってくれていたということになる。

本当なら店頭に表示される価格は6万円とか7万円なのに、消費者は勝手に長期ローン契約にされてあたかもメーカーの希望小売価格が2万円とか3万円かのように見せかけていたということだ。今後携帯電話のキャリア各社とも KDDI と同様に、販売奨励金をなくしたプランを出してくると思う。それによって、携帯電話の本当の価格が消費者に見えてくる。

ちなみに、自分は携帯電話がもし6万円も7万円もするものだったら、購入するかどうか悩むと思う。2万円か3万円で基本機能だけの機種を探すだろう。実際、販売奨励金をなくしていく方向に動いた場合、携帯電話の市場では安い基本機能だけの機種が増えると予想されている。

このニュースを聞いたときに、日本が携帯電話の機能が異常に多く、ソフトウェアの規模が大きかった原因は「コレだ!」と思った。

ユーザーは携帯電話の価格を表面上低く見せられていたので、価格と製品の機能とのバランスが崩れていた。高機能なものがより安価に買えるので、たいして使わない機能があってもカタログスペックで他社より上回っているものを買っていた。メーカーサイドもハイエンドの機種がバンバン売れるのでお金をかけたコマーシャルを打つことができる。それによって消費者はハイエンド機種に誘導される。

ユーザーは携帯電話のラインナップの中で高機能なハイエンド機種群を見かけ上安く買っていた(買わされていた)。通常商品ラインナップの中でハイエンド機種は高価で一番出荷台数が少ないものだが、携帯電話の場合は、ハイエンド機種の出荷台数が一番多かったということになる。

そんな状態が何年も続けば、そりゃソースコードの規模も600万も700万もいくだろう。でも、その裏には販売奨励金によって見かけ上4万円も小売価格を低くするカラクリがあった。

もしも、最初から端末の価格表示が実勢にあったものであれば、携帯電話におけるソフトウェアの規模の爆発はこれほどではなかったのではないか。携帯電話下請けソフトウェアエンジニアが女工哀史のようになることはなかったのではないだろうか。

ただ、携帯電話キャリア各社のこの作戦で、高機能な携帯電話が日本中に短期に爆発的に普及し、携帯電話が技術革新を生んだのも事実だろう。携帯電話のおかげで、高密度、大容量のバッテリや、小型振動デバイス、高精細カラー液晶などが開発されたし、ソフトウェアの世界でもオブジェクト指向設計の普及を後押ししたのではないかと思う。

でも、この異常状態がこの後解消されていけば、市場やユーザーは価格と機能のバランスを考えて携帯電話を購入するようになる。使わない機能が満載のかっこいい機種ではなく、自分の収入に見合った価格の中から必要な機能が入っている機種を購入するようになる。

携帯電話メーカーの売れ筋商品はハイエンドからミドルレンジ、ローエンドの機種に移ってくるため当然利益も減ってくる。商品群の中で共通なソフトウェアコア資産を再利用するソフトウェアプロダクトライン戦略も組織的に取り組んでいかないと利益を維持できなくなっていくだろう。

これまでカタログやCMに踊らされていた消費者は、財布の中身を気にしながら本当に自分に必要な機能は何かをじっくり考えるようになる。そして、そのニーズをいち早くくみ取ってそこにターゲットを合わせ、その機能や性能の価値に消費者が納得できる価格を付けることができたメーカーが市場で生き残るだろう。もちろん、他社にはない自分たちの得意技術をウリにできなければ差別化することはできないが・・・

そう考えると、携帯電話業界における異常なほどの技術者の残業、ソフトウェア規模の急激な拡大、人材不足は、消費者がそうとは知らずに高い携帯電話を買わされていたためだと考えられないだろうか。いびつに形成された市場が生み出した負の側面ということだ。

前にも書いたけれど、海外でNOKIAの携帯電話をレンタルしたりすると、本当に基本的な機能しか入っていないことに気がつく。いくら日本人が新しもの好きだからといって、みんながみんなこんなにたくさんの機能が付いている携帯電話を持っているのは絶対異常だと思っていたが、今回の話でその裏事情が見えてきた。

メーカーは市場と製品、機能・性能とその価値を適正に把握できないと、商売に失敗するだろうし、そこにいるエンジニアもしあわせにはなれないと思う。市場やユーザーから本当に求められているものを適正な価格(開発費)で提供するためには、エンジニアは制約条件の中で何ができるか、よーく考えなければいけない。その前提が崩れると正しい判断ができなくなり、考える能力が鈍ってくる。

ユーザーニーズと商品の価値と価格、この関係をきちんと分析できた者が、その市場で成功を収めることができるのだと思う。
 

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